日経平均株価推移

1980年の日経平均株価推移 日本経済が高度成長を遂げた1980年代の始まり

日経平均株価推移

 1980年(昭和55年)の日経平均株価推移です。

 1980年は、日本のバブル経済の始まりとされる年でした。この年、日本の実質GDPは239兆2709億円で、前年比2.8%の成長率でした。しかし、1980年は、石油危機の影響で世界的な不況が続いていた年でもありました。そのため、日本は、円高や輸出産業の低迷により、経済成長率は2.8%でした。

 また、1980年は、日本の金融政策が大きく変化した年でもありました。日本銀行は、2月22日に公定歩合を7.5%に、3月24日に9.25%に引き上げました。それによりインフレを抑制しようとしましたが、逆に景気を冷え込ませる結果となりました。

 また、1980年の平均レートは、1ドル=226.74円で、年初の1ドル=226.74円から年末の1ドル=240.30円まで約13円上昇しました。年間の値上がり率は5.74%でした。最高値は2月29日につけた249.08円で、最安値は1月2日の226.74円でした。

 米国の高金利政策や財政赤字などにより、ドル高円安の時代でした。

 1980年は、冷戦の最中で、米ソ関係は非常に緊張していました。その要因の一つは、1979年末にソ連がアフガニスタンに軍事介入したことでした。これに対して、米国はソ連に対し経済制裁行い、日本や西側諸国の約50カ国がモスクワオリンピックをボイコットしました。

日経平均株価

 日経平均株価は、年初に6,560.16円、年末に7,116.38円(+546.91円、+8.33%)。安値は6475.93円、高値は7,186.30円をつけました。

大きな値動き

 日経平均株価では他に大きな値動きはなく、第2次石油危機(オイルショック)後の景気は依然停滞していたことがわかります。

主な出来事

社会

 日本やアメリカなど67か国のIOC加盟国が不参加したモスクワオリンピックが開幕され、全国規模で初めてのホワイトデーを開催されました。

 親族10人を殺傷した三重県熊野市の熊野一族7人殺害事件、死傷者200人以上の静岡駅前地下街爆発事故、死傷者20人の新宿西口バス放火事件、死者45人の川治プリンスホテル火災が発生しました。

 「進研ゼミ小学講座」を開講、ルービックキューブが発売、TOTOがウォシュレットを発売、「週刊ヤングマガジン」が創刊、「ポカリスエット」を発売、任天堂が初の携帯型ゲーム機「ゲーム&ウオッチ」を発売、ミニストップ設立されました。

 巨人の長嶋茂雄監督が退任し、王貞治選手が現役引退しました。

 ポール・マッカートニーが大麻所持の容疑で逮捕され、映画ドラえもんシリーズ第1作『映画ドラえもん のび太の恐竜』公開され、黒澤明監督の「影武者」がカンヌ国際映画祭グランプリを受賞、松田聖子が『裸足の季節』でレコードデビュー、田原俊彦が『哀愁でいと』でレコードデビュー、近藤真彦が『スニーカーぶる〜す』でレコードデビュー山口百恵の引退コンサートが日本武道館で行われ、山口百恵と三浦友和が結婚しました。

経済

 ライオン歯磨とライオン油脂が合併し現在のライオンが発足、エイチ・アイ・エス(当時はインターナショナルツアーズ)設立されました。牛丼の吉野家が会社更生法を申請しました。

政治

 5月16日に大平内閣が内閣不信任案の可決により解散(ハプニング解散)し、衆議院が解散しました。6月12日に平首相急死し内閣も総辞職、6月22日 初の衆参同日選挙(第36回衆議院議員総選挙・第12回参議院議員通常選挙)が行われました。
 その間、伊東正義内閣官房長官が首相の臨時代理を務め、7月17日に鈴木善幸内閣成立しました。
 9月19日、富士見産婦人科病院からの政治献金で斎藤邦吉厚相辞任しました。

海外

 ジョン・レノン銃殺事件が起き、中国がIMFに加盟し台湾脱退、胡耀邦が文化大革命を全面否定、世界保健機関が天然痘の根絶宣言、韓国で光州事件が発生し、イラン・イラク戦争勃発し、アメリカ合衆国大統領選挙でロナルド・レーガンが現職のジミー・カーターを破り当選しました。

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